書籍流通の裏ブログ
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書評『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷 』

約束していた待ち合わせまでには大分時間があったらから、駅前の書店で暇をつぶしていた。

何を買うあてもなく新刊本を手にとってはページを繰って、私の偏った琴線に触れる本を探す。


面白そうな本は多いけど、これだ!と思える本は少ないものだ。間違いなく絶対に面白い本。


新潮、文春、角川、と文庫本の書棚を見て周り、岩波新書のコーナーになった。

相変わらず難しそうなタイトルが並んでいる。「ここはパス」と思った瞬間、そこに数冊平積みになっていたその一冊を見つけた。


森 達也
悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷

まさか、森達也氏の新著が岩波新書から出ていたとは知らなかった。
森達也氏といえば、そもそもはテレビでドキュメンタリーを撮っている監督だ。

麻原逮捕後のオウム内部からオウム事件を描いた「A」「A2」は劇場映画として公開され、これはDVDにもなっているが秀逸なドキュメンタリーである。


これまでも数冊森氏の著作を読んでファンである私は、まさに貪り読むように一気読みしてしまった。


私は熱心なプロレスファンではない。グレート東郷という名前も、耳にしたことはあるが、どんな人物であるかも知らず、ましてや興味もない。

私の周りにはプロレスファンが多い、彼らのプレロス談義に耳を傾ける機会もある。しかし、たいてい彼らは素人である私を置いてきぼりにしてしまう。

著者である森氏もコアなプロレスファンであるが、さすがドキュメンタリー作家だ。取材対象者と読者を等距離で見つめる視点を忘れていない。

決して、一人よがりなプロレス好きが書いた、プロレスマニア向けの本ではないのだ。


日系アメリカ人であるプロレスラー、グレート東郷という人物を通して、日本のテレビ文化、そして戦後の屈折したナショナリズム(この辺の切り口が岩波新書っぽい)までもが描かれている。

だからといって、小難しいことは何も書かれていないので安心して欲しい。

すべては取材の積み重ねで得られた、プロレスファンならずとも興味を引くエピソードの数々で構成されているから。


戦後のアメリカで、一人の日系アメリカ人プロレスラーが、世紀の大悪役として、その名を馳せていた。


<以下文中より抜粋>--------
当時の東郷のリングコスチュームは、背中に日の丸と、南無妙法蓮華経の題目が描かれた白地の法被を羽織り、高下駄を履いて、額には「神風」と書いた日の丸の葉t巻きを締めていた。

試合はラフファイト一辺倒で、隠し持っていた塩を相手レスラーの目にすり込んだり、凶器で血だるまにするのは日常茶飯事だ。さらには、倒れた相手は見下ろしながら、「バンザーイ、バンザーイ、パールハーバー!」などと狂喜乱舞する。
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こうしてグレート東郷は、当時アメリカ人が共通して思い描く卑怯な日本人を演じ、彼らの憎しみとナショナリズムを喚起することに成功した。

その結果、観客からは罵詈雑言を浴び、うかつに一人歩きもできない存在となるが、アメリカのプロレス界では史上最高の悪役として、巨万の富を得るほどに成功するのだ。


時を同じくして日本の戦後である。
敗戦国である日本の復興期、街頭テレビでは力道山がシャープ兄弟を空手チョップで叩きのめす姿に、日本国民が熱狂していた。


今では、敗戦直後の日本で、そのナショナリズムの発露として機能した力道山が、実は北朝鮮出身であったことは有名な話である。

また、その対戦相手であるシャープ兄弟も、実はアメリカ人ではなくカナダ生まれだ。


日系アメリカ人であるグレート東郷は、日本プロレス初来日時「売国奴」として登場している。

生まれ故郷アメリカでは卑劣なジャップとして蔑まれ、その祖国では売国奴として甘んじる。


鬱屈したナショナリズム。


著者は、そんな視点からグレート東郷の出生の秘密にせまっていく。

これまで彼は、熊本県出身の移民の子、その二世として出自が語られていたのであるが、著者は、ある情報から彼の母にまつわる秘密を知ることになる。

ここからは、まるでミステリー小説を読ませるように面白い。


プロレスファンにとっては、ある種スクープともいえるエピソードもあるが、それは露骨な暴露本の類ではない。森氏の視点は常に暖かく愛情にあふれ、きっとプロレス好きな読者も満足するだろう。


ふらりと入った書店で、思いっきりツボに入った本を見つけてしまった。結局、友人との待ち合わせに遅刻するまで、喫茶店で読みふけってしまった。


これは、プロレスファンならずとも、お薦めできる一冊である。


(山下惣市)


『東京少女 ボクとオタとお姫様の物語』


かつては便所の落書きと揶揄された、そんな2ちゃんねるからオタクの純愛物語「電車男」は生まれた。


2ちゃんのスレッドが新潮社から出版されると知り、そんなものが売れるわけないと思ったが…。あにはからんや。書籍はベストセラーで、映画も大ヒットしたみたい。


もうすぐ四十路に届く歳になってから、オレもかるく保守的になった。

「電車男」は読まない、映画も見ないと決めていた。ところが何の手違いか、ドラマ版「電車男」を最終話まで欠かさず見てしまった。しかも、ほろほろと涙までこぼして…_| ̄|○


そんなこんなで、また2ちゃんで綴られた純愛物語が出版されたらしいので、今回はこの手に取って読んでみる。


七重 俊
東京少女~ぼくとオタとお姫様の物語

そもそもは、2ちゃんの「モテない男性」、通称「喪板」の一スレッドで語られた著者の体験談らしい。

(東京少女を読後、ネットで調べた)

掲示板に自称モテない男が集まり、ただ意味もない書き込みが続くなか、その物語は唐突に始まった。


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70 名前: ('A`) 04/08/16 07:33

クリスマスイブにデートの娘を買ったことがある。
Hなしっていう条件。拘束時間は明け方まで。
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つまり70番目にカキコした著者は、以降、70氏と喪板住人に呼ばれ、いつしかスレッドは70氏の語る、「ぼくとオタとお姫様の物語」を中心に展開するのだ。


どんな小説でも、冒頭の一行は重要だ。


インパクトがあって、読者の興味を引き、さりとてあざとくもない。そして物語の進むべき方向へベクトルの矢印が間違ってない。


この物語は著者の体験で、つまり実話。文章には素人だという七重氏だが、だとすれば、その潜在的な筆力には脱帽である。
物語の冒頭から、読者の興味をぐいぐい引き出し、一気に最後まで読ませてしまう。


登場人物は、著者である「七重氏」と、クリスマスイブに買った「お姫様」、そして「七重氏」の友人である「オタ」である。
確かに、人物描写に筆が足りず、具体的に登場人物の人柄を想像するに困難だ。

そして、「お姫様」には謎があり、その謎によって読者は興味を損なうことなく、最後まで読めるのだが…。


こんな感想を書いてしまうことに躊躇するが、その謎解きは読者を納得させるに充分ではない。

しかし、これは七重氏の実体験で、小説のように読める物語であるが、実際はドキュメンタリーなのだ。
「モテない男性」の集う掲示板にカキコした、七重氏が体験した切ない恋物語。謎の部分は、結局謎として残り、またそこにリアリティがある。


ネットの掲示板。


そこには、様々な人生の断片が書き込まれている
また、電車男にしろ、この七重氏の体験にしろ、その真偽はネットで議論されているようだ。

騙されないと身構える大人でいるか、素直に騙される子供でいるか。もし、騙されて実害がないのなら、それに乗って楽しむのもいいと思っている。


七重氏の思い出が綴られた物語。

彼はまとめサイトを否定して、2ちゃんのスレッドに埋没する物語でいいといっていた。
彼は、彼の思い出を整理するために、その捌け口として2ちゃんを利用したにすぎないのだ。

しかし、この秋、彼の切ない思い出が一冊の書籍として出版された。
文章もしっかり推敲されて読みやすくなっているし、また2ちゃんで語られなかった部分も入っている。

あの日、一瞬でも七重氏の腕の中でやすらぎを得たお姫様が、この本をどこかで手に取ることを希望する。そして、彼の携帯の着信音を鳴らしてくることを…。


誰にも物語の一つや二つあって、それがネットの掲示板で語られるこもあるだろう。でもそれは、本来ならキャッシュのゴミとなる物語…。しかし、そこから掬い取られたのが、この一冊の書籍である。

もうすぐ冬が来るけど、七重氏があの冬に体験した出来事を巻き戻し、どうぞ読者にも体験して欲しい。


(山下惣市)

書評『土の中の子供』

第133回芥川賞を受賞した『土の中の子供』を読んだ。


中村 文則
土の中の子供

年をとってからは、すっかり純文学を読まなくなった。
こらえ性がなくなって、ストーリーの展開しない物語は退屈してしまうのだ。


この『土の中の子供』の主人公は養父母に虐待された過去を持つ。幼き頃に両親に捨てられ、遠い親戚に預けれらる。そこで、殴る蹴るの暴力に晒され、挙句の果てには満足に食事すら与えられず放置される。


私にも息子がいる。幼児期というのは、子にとって親は絶対的な存在で、私が正しいと判断したことが正義であり、息子はそれに反抗も抵抗もできなかった。例え、私がどんな駄目な人間であったとしても、子供は親を疑うことを知らない。だからこそ、親は我が子を愛しく思えるのだ。


そんな可愛いはずの我が子に対して幼児虐待のニュースが後を絶たない。ただ、大抵は母親が育児ノイローゼであったり、同棲相手の男性が彼女の連れ子を虐待したりと、そこに虐待の動機を見ることができ、少しばかり安堵する。


しかし、結果に対して原因を探り得るのは大人だからであって、虐待されている幼児の心には、この理不尽な暴力がどう映っているのだろうか。そして虐待を受けた子供達は、その傷を心に残しどのように成長していくのか。


この物語の冒頭は暴力から始まる。既に成人している主人公は、自ら暴走族とのトラブルを起こす。鉄パイプを握った暴走族の圧倒的な暴力を前に、主人公はこう自己の内面を綴る。


(以下本文より抜粋)
『全身を蹴られながら、意識が遠くなっていくのを感じた。バイクの光に照らし出されながら、無残にされるがままになっている自分を、虫ケラのように感じた。私は興奮していた。この状況に似つかわしくない感情だと思った。(中略)彼らの攻撃はしつこく、激痛しか感じない。虫ケラでいることに、陶酔しているというわけでもなかった。何というか、きっとこの先にあるものを、私は待っていた。何か、私を待っているものが、そこに確かに存在するように思えた。それが何であるのか、まだはっきりしない。』


主人公は絶対的な暴力に身を浸し、その暴力の果てに見えるだろう何かを探す。幼児の頃に受けた理不尽で残虐な暴力の、その原因と結果を知ることで、いくばくかの安堵を得るように。


やはり純文学だけあって、とってつけたようなストーリー展開もなく、主人公の内面が綿々と綴られる。さりとて主人公に感情移入できるような物語ではなく、ただ、その暴力の果てに主人公が見たものが知りたくて読み進める。


小説を通して暗く重い話が続くのだが、最後の最後で主人公の人間らしさに触れることができたときには思わず涙がこぼれた。
この最後にでてくるエピソードの雰囲気で、今回の小説が描かれていたなら、もっと主人公に感情移入でき救いのある小説になっていただろう。
もっとも、それではお涙頂戴の大衆小説になってしまうのだろうが…。


軽く読み飛ばせる大衆文学と違い、純文学では難解な表現も多い。ただ、それを理解しようと小説に没頭することによって、気がつけばその世界に身を浸すことができるのだ。そして、その物語が結実した瞬間、小説でしか味わうことのできない感動を得ることができるだろう。


年を取って、小難しくて面倒臭い小説は敬遠していたが、たまにはこんな小説を読んでみるのもお薦めである。


(山下惣市)

愛蔵版

da


会社に来てくれた友人にダ・ヴィンチコードの愛蔵版をいただく。
洋書Special Illustratedの翻訳版らしい。

たとえば文中に「魔女狩り」という語が出てきたら、ちゃんと同ページに
魔女狩りの図版が挿入されているなど、中身はとても親切でキレイな作り。

値段が4500円とちょっと高いが、贈り物にはいいかもと思う。



カバーをとるとまるで洋書(最後の晩餐)なので、「モテ本」として
書棚に入れておくとかなりいいんじゃないとは、同僚の談。
(気になる方はお近くの書店で丁寧に確認してください)


で、ダン・ブラウンの次作「Solomon Key」ほんと2006年に出るのか?
http://www.dymocks.com.au/misc/dan_brown_solomon_key.asp


ラノベ「ゼロの使い魔」1~5巻を週末にいっき読みする。
表紙を見た同居人に「ご飯ができました、お兄たま」とからかわれるが無視。


ダン・ブラウンも面白いけど、ヤマグチノボルだって負けてはいないんだぞと、

心の中で呟いてみる。


tukai

書評『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』

28年の歳月を経て、ついにスターウォーズが完結した。


マシュー・ストーヴァー, ジョージ・ルーカス, 富永 和子
STAR WARSエピソード3シスの復讐


公開初日の長蛇する列に並び、あまりに感動したので、小説版「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」も買ってしまった。


スターウォーズでは、オープニングにテロップで銀河共和国の現況が説明される。例えば、エピソード1ではこんな感じ。


銀河共和国を騒乱が襲った。辺境の星系を結ぶ交易ルートへの課税を巡って論争が勃発したのだ。貪欲な通商連合は武力での解決を図るべく、大規模な艦隊によって辺境の小惑星ナブーの物流を完全にとめてしまう。


漢字、しかも熟語ばかり。
なるべく多くの情報を少ない文章で書くとこうなるのだろうが、非常に不親切である。


これが小説の冒頭であれば、何度も読み返せるが、映画だと、あっという間に字幕が消える。

スターウォーズの世界観は壮大で、2時間の映画でその全てを描くのは難しい。その点では、小説向きの物語なのだ。

小説であれば時間に制約されず、その世界をじっくり描くことができるだろう。


例えば、その世界観でいえば、小説を読むことによってジェダイの騎士に対するイメージが変わった。

映画を見終えた後、ジェダイってカッコイイ、オレもジェダイの騎士になりたいと思ったが、とてもじゃないが御免こうむりたい。


小説を読んで知ったが、ジェダイの騎士は全てのもの、それは物質でも、肉親でも恋人でも所有を禁じられている。


ヨーダがアナキンに語る。


「執着は貪欲の影ぞ。恐れを手放せ。失うと恐れているものを、手放さねばならん」


つまり、大切に思うものがあるからこそ、それを失うことへの恐れや、疑念や迷いが起きるのだ。全ての執着を捨てよと。

なんだか、どこかの宗教団体のようである。肉親や愛する者への愛情すら否定的なのである。


「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」では、アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ち、ダース・ベイダーとなる瞬間が描かれる。

映画では、ダークサイドに堕ちる瞬間の描写が唐突で、アナキンの心理描写に不満もあったが、小説では素直に理解できた。

エピソードⅡで母が虐殺され、それを助けられなかったことへの後悔。そしてパドメと結ばれ、そのお腹に新しい命が宿る。

奴隷として生まれてきたアナキンにとって、それは失うことを恐れるに足りる、新しい家族であったろう。それをジェダイは否定する。


映画と小説では表現の手法が違う。


小説では、アナキンの内面の葛藤を積み重ねることによって、映画とは、また一味違う感動が得られるだろう。

もちろん映画も大満足であった。やはりスターウォーズは劇場の大画面で見なくちゃと思うが、小説も最高に面白いSFであることを今更ながら発見した。


エピソードⅢを劇場で見た人には、絶対にお薦めの一冊だ。


(山下惣一)


棚卸終了

ツツイです。

今年上半期の棚卸も14夜から15朝にかけ無事終了。

我々の店舗では、毎年2月と8月に実施しています。

現在庫の総量を附上(つきあげ=チェック)して

仕入れ伝票とつき合わせて

「無いはずの在庫が、なぜかある」

「入荷しているはずなのに、実際は無い」

あってはならない数々の事態を明らかにします。

つまりは万引きの実害数値がわかってしまう。

マイナス○○○○千で済めば万々歳、そんな世界です。いいのか・・・

いや!よくない!


さて実際に、当日の深夜実働部隊として動いていただくのは専門業者さん。

我々売場スタッフは前日までに

棚、棚下、倉庫の整理。代金引換の処理終了調査。

不動向商品(いわゆるショタレ)の隔離。

常備品の入れ替え速度を加速。

これから入る予定の常備品は入荷を一時留めてもらう。

など、など。

最後の最後、閉店直後に、売場のサンプル商品や紛らわしいPOP、配布物や販売促進物を撤去

(附上は開店中にまず倉庫からスタートするので)。


一連の動きの中でも返品は焦点!ガツガツ返品!売れないものは返品!

逆に売れる商品は当たり前のように持っていないとまずい。

しかもお盆休み中なので追加効かない。


初速は遅いけどロングで売れそうなもの

書評次第で化けそうなもの

このあたりをどうしていくかが毎回ジレンマです

(棚卸期に限ったことではありませんが)。


例  『東京の公園と原地形』けやき出版

書評 『いつも旅のなか』

角田光代氏の旅行エッセイ「いつも旅のなか」を読んだ。バックパッカーであり、作家である彼女が記した旅行記である。
角田 光代
いつも旅のなか


旅行記なんて、「何食べた」、「何処行った」。そんな私的な記録のはずが、彼女の視点で語られたエッセイは、短編小説を読むように面白い。


これは、フィンランドとロシアを結ぶ国境を、列車で超えた時のエピソードだ。


車窓から望むのは、北欧の森に点々とする、童話みたいな民家だ。列車に気づいた子供達は、こちらに向かって大きく手を振っている。


そんな、のどかな風景から一転して、ロシアへと入国する。


「大きいものであれちいさいものであれ、イミグレーションという場所は、その国と、その国に住む人々の個性を、ものすごく簡潔に明確にあらわしていると思う」。そう著者は語る。


日本から持ち込んだ酢昆布片手にビールをガブ飲みしていた彼女。それがお国柄なのだろう、人の尿意すら無視するロシア人の規律正しさが、同行していた女性編集者を襲う。


尿意VSロシア人。


これは、単純に笑えるエピソードである。しかし、ロシア旅行の項を読み終えたとき、ちょっと心にしこりが残り、ただ「面白いことがありました」という報告だけに終わらないのだ。


バリで謎の茸の粉末で、危うく「帰ってこられなくなる」ほどトリップしてみたり、ゲリラ活動まっさかりのスリランカを旅してみたり、アイルランドで住人のふりをして一ヶ月アパートを借りて暮らしてみたり…。


無謀とも思える著者の行動にハラハラさせらるんだけど、その旅を読み終える度、なんともいえない読後感が心に残る。


直木賞受賞作家のエッセイとういだけで手にとった本だったけど、予想を裏切るほど面白かった。


私は、このエッセイに登場する国の、どれ一つとして行ったことがないが、その地を旅したことがある人なら、もっと共感できると思う。


最後に、参考までにエッセイに登場した地域を目次順に列記してみたい。


モロッコ、ロシア、ギリシャ、オーストラリア、スリランカ、ハワイ、バリ、ラオス、イタリア、マレーシア、ベトナム、モンゴル、ミャンマー、ベネチア、ネパール、プーケット、台湾、アイルランド、上海、韓国、スペイン、キューバ


まだ夏休みの旅程を決めていない人には参考になるし、あるいは、これを読んで旅気分を盛り上げるのもいいだろう。


(山下惣一)


書評 『語源ブログ』

ちょっと本屋を覗いたら、またもやアメーバブックスから書籍化された単行本が書店で平積みにされていた。

「語源ブログ」湯元俊紀著


湯元 俊紀
『語源ブログ ネットで探るコトバの由来』

実録鬼嫁日記がベストセラーとなって、アメーバブックスもブログ文学の確立に本気みたいだ。
ブログが本になるなら、オレも夢の印税生活を目指してブログを始めるか。

果たして、どんなブログが書籍化されるのか。常にアメーバランキングの上位にいた「語源ブログ」だが、改めて人気の秘訣を探ってみたい。

誰もが知ってる言葉がある。
例えば、「真っ赤な嘘」、「屁のカッパ」、「ガッチャマン」(ある年代以上)とか。


なんで、嘘が真っ赤に燃えるのか意味不明だし、カッパが屁をして、何で慣用句になるのか。ましてやガッチャって、お前は何者だ。

当たり前に耳にして語る言葉でも、改めて「なんで?」と聞かれると「言われてみれば、なんでだろ?」って言葉は多いものだ。

そんな、間口の広いネタを、知的好奇心を満たしてくれる形で提供してくれたのが語源ブログだ。

※上記の「真っ赤な嘘」、「屁のカッパ」、「ガッチャマン」の語源は、語源ブログにその答えが載ってます。

作者である、湯元俊紀さんはフリーライターとのことで、さすがはプロだけあって目のつけどころが違う。

そんな湯元さんが、巻末にこんな一文を寄せていた。それは、自身がブログを始め、それが出版に至った感想についてだ。

「まさかここにきて「本を出版する」という。人生の中でも最大級のハプニングを巻き起こしてくれるとは(笑)」

この一言でわかるのは、例えプロのライターであっても、自身の著名で書籍を出版するということは並大抵ではないということだ。

そんな著者の言葉からも、ブログの可能性を感じさせてくれるではないか。
自費出版なんて、ムダなお金を使う必要はない。ブログで自叙伝を書いてもいいと思う。それが面白ければ、日本全国の書店に流通する書籍として成立してしまうのだ。

ただ、書き手側が意識しなければいけないことを、この「語源ブログ」は教えてくれる。ただ、書けばいいってもんじゃない。自分勝手な自己満足で終わってしまってはいけないのだ。
読者の好奇心を満たしてくれること、それこそ必須だ。

この「語源ブログ」、好奇心を満たすために読んでも面白いし、また、自身のブログを書籍化したいと思っているなら、参考書にもなるだろう。

ブログは手軽に始められるけど、どうせだったら多くの人に読んでもらいたい。
人気ブログの秘訣が知りたいなら、この「語源ブログ」を読んでみるのが吉!とか思った。

PS:
湯元さんに質問。
キャベツ太郎というスナック(駄菓子)があるけど、何が「キャベツ」かわかりません。


パッケージには、警官にコスプレしたカエル。
商品の成分表にも、キャベツの「キャ」の字もありません。
なんでキャベツ太郎なんでしょうか、教えてください。


(山下惣一)


売れる本

工藤です。


今日も夕方から天気が悪く、雨っぽいですね・・・


6月だから仕方ないか。



最近ふと思うこと。


何でこの本が売れているのか、ということ。


つまり、同じような本がたくさんあるのに、


何でバカ売れする本と、全く売れない本に分かれるのかということ。


ちょっと先輩営業マンに聞いてみた。


「そんなのわかんねぇよ」


ちょっと先輩編集者に聞いてみた。


「それが分かったら苦労しないね」


・・・・


・・・・


・・・・


どんな本でも「売れる」と思って出版される。


だけどほとんどの本がたいして読まれず闇へと消える。


本屋さんに聞いてみた。


「本屋が売りたい本が、売れる本だよ」


つまり、書店が売ろうとすると売れる、ということ。


確かにそうだと思う。


売る人たちが協力してくれなければ売れない。


でもいい作品じゃないと、協力してもらえない。


だからまずいい作品を出すことが大事。


その次に売り場でのアピール(=営業)が大事。


これが今日の結論です。

課題本

ツツイです。

ご入学おめでとうございます!的学生さんラッシュも

すっかり落ち着きました。

初夏~夏・秋は課題、レポート提出で

本が聞かれることが多くなってきます。

大抵は大学生協でテキスト御購入、となるのでしょうが
何らかの都合で新刊書店で探されることも。

そういう時は同じ本を何回も別の方から問い合わせがあります。

ところが我々、いきなり聞かれる、ことに非常に弱い。
”新刊だから平積み” ”ロングセラーで平積み”
ってのはあっても
”某月某日、前フリ無く、聞かれるのが確実である平積み”
はまず無いんです。棚から売れると棚下ストックはあっても1から2冊

(有斐閣、世界思想、ミネルヴァなどのテキストなら・・・というところですが)。

大抵は無いものです。

さらにさらに。大学の指導教官は、自分の授業で指定した本がちゃんと
流通上「生きてる」かどうかは、全然考えにないのであります。これは参る。
お客様いらっしゃって、調べて時間かけてしまい、申し訳なく

最後の最後に「店頭在庫無」「版元品切」「重版未定」「絶版」だのお伝えするとき
レジュメ片手に凄く不思議そうな表情で去られるんですよ。
「????」って。


こんな会話が予想される。

学生 「せんせい、課題の本、値段高い上になかなか見つからないんです」
教授 「高いけどいい本だからね。探して買いなさい」
学生 「新宿の紀○国屋も、池袋のジュ○ク堂にも無かったです」
教授 「じゃあ、取り寄せにしなさい」
学生 「出版社にも在庫が無いって店員さんに言われました」
教授 「じゃあ、スーパー源氏かなんかで探しなさい。うん、はい。がんばって」


・・・これ間違ってはないんです!
探求の徒とその師の会話としては。でも。ううむ。