書評『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』 | 書籍流通の裏ブログ

書評『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』

28年の歳月を経て、ついにスターウォーズが完結した。


マシュー・ストーヴァー, ジョージ・ルーカス, 富永 和子
STAR WARSエピソード3シスの復讐


公開初日の長蛇する列に並び、あまりに感動したので、小説版「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」も買ってしまった。


スターウォーズでは、オープニングにテロップで銀河共和国の現況が説明される。例えば、エピソード1ではこんな感じ。


銀河共和国を騒乱が襲った。辺境の星系を結ぶ交易ルートへの課税を巡って論争が勃発したのだ。貪欲な通商連合は武力での解決を図るべく、大規模な艦隊によって辺境の小惑星ナブーの物流を完全にとめてしまう。


漢字、しかも熟語ばかり。
なるべく多くの情報を少ない文章で書くとこうなるのだろうが、非常に不親切である。


これが小説の冒頭であれば、何度も読み返せるが、映画だと、あっという間に字幕が消える。

スターウォーズの世界観は壮大で、2時間の映画でその全てを描くのは難しい。その点では、小説向きの物語なのだ。

小説であれば時間に制約されず、その世界をじっくり描くことができるだろう。


例えば、その世界観でいえば、小説を読むことによってジェダイの騎士に対するイメージが変わった。

映画を見終えた後、ジェダイってカッコイイ、オレもジェダイの騎士になりたいと思ったが、とてもじゃないが御免こうむりたい。


小説を読んで知ったが、ジェダイの騎士は全てのもの、それは物質でも、肉親でも恋人でも所有を禁じられている。


ヨーダがアナキンに語る。


「執着は貪欲の影ぞ。恐れを手放せ。失うと恐れているものを、手放さねばならん」


つまり、大切に思うものがあるからこそ、それを失うことへの恐れや、疑念や迷いが起きるのだ。全ての執着を捨てよと。

なんだか、どこかの宗教団体のようである。肉親や愛する者への愛情すら否定的なのである。


「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」では、アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ち、ダース・ベイダーとなる瞬間が描かれる。

映画では、ダークサイドに堕ちる瞬間の描写が唐突で、アナキンの心理描写に不満もあったが、小説では素直に理解できた。

エピソードⅡで母が虐殺され、それを助けられなかったことへの後悔。そしてパドメと結ばれ、そのお腹に新しい命が宿る。

奴隷として生まれてきたアナキンにとって、それは失うことを恐れるに足りる、新しい家族であったろう。それをジェダイは否定する。


映画と小説では表現の手法が違う。


小説では、アナキンの内面の葛藤を積み重ねることによって、映画とは、また一味違う感動が得られるだろう。

もちろん映画も大満足であった。やはりスターウォーズは劇場の大画面で見なくちゃと思うが、小説も最高に面白いSFであることを今更ながら発見した。


エピソードⅢを劇場で見た人には、絶対にお薦めの一冊だ。


(山下惣一)