書評『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷 』
約束していた待ち合わせまでには大分時間があったらから、駅前の書店で暇をつぶしていた。
何を買うあてもなく新刊本を手にとってはページを繰って、私の偏った琴線に触れる本を探す。
面白そうな本は多いけど、これだ!と思える本は少ないものだ。間違いなく絶対に面白い本。
新潮、文春、角川、と文庫本の書棚を見て周り、岩波新書のコーナーになった。
相変わらず難しそうなタイトルが並んでいる。「ここはパス」と思った瞬間、そこに数冊平積みになっていたその一冊を見つけた。
麻原逮捕後のオウム内部からオウム事件を描いた「A」「A2」は劇場映画として公開され、これはDVDにもなっているが秀逸なドキュメンタリーである。
これまでも数冊森氏の著作を読んでファンである私は、まさに貪り読むように一気読みしてしまった。
私は熱心なプロレスファンではない。グレート東郷という名前も、耳にしたことはあるが、どんな人物であるかも知らず、ましてや興味もない。
私の周りにはプロレスファンが多い、彼らのプレロス談義に耳を傾ける機会もある。しかし、たいてい彼らは素人である私を置いてきぼりにしてしまう。
著者である森氏もコアなプロレスファンであるが、さすがドキュメンタリー作家だ。取材対象者と読者を等距離で見つめる視点を忘れていない。
決して、一人よがりなプロレス好きが書いた、プロレスマニア向けの本ではないのだ。
日系アメリカ人であるプロレスラー、グレート東郷という人物を通して、日本のテレビ文化、そして戦後の屈折したナショナリズム(この辺の切り口が岩波新書っぽい)までもが描かれている。
だからといって、小難しいことは何も書かれていないので安心して欲しい。
すべては取材の積み重ねで得られた、プロレスファンならずとも興味を引くエピソードの数々で構成されているから。
戦後のアメリカで、一人の日系アメリカ人プロレスラーが、世紀の大悪役として、その名を馳せていた。
<以下文中より抜粋>--------
当時の東郷のリングコスチュームは、背中に日の丸と、南無妙法蓮華経の題目が描かれた白地の法被を羽織り、高下駄を履いて、額には「神風」と書いた日の丸の葉t巻きを締めていた。
試合はラフファイト一辺倒で、隠し持っていた塩を相手レスラーの目にすり込んだり、凶器で血だるまにするのは日常茶飯事だ。さらには、倒れた相手は見下ろしながら、「バンザーイ、バンザーイ、パールハーバー!」などと狂喜乱舞する。
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こうしてグレート東郷は、当時アメリカ人が共通して思い描く卑怯な日本人を演じ、彼らの憎しみとナショナリズムを喚起することに成功した。
その結果、観客からは罵詈雑言を浴び、うかつに一人歩きもできない存在となるが、アメリカのプロレス界では史上最高の悪役として、巨万の富を得るほどに成功するのだ。
時を同じくして日本の戦後である。
敗戦国である日本の復興期、街頭テレビでは力道山がシャープ兄弟を空手チョップで叩きのめす姿に、日本国民が熱狂していた。
今では、敗戦直後の日本で、そのナショナリズムの発露として機能した力道山が、実は北朝鮮出身であったことは有名な話である。
また、その対戦相手であるシャープ兄弟も、実はアメリカ人ではなくカナダ生まれだ。
日系アメリカ人であるグレート東郷は、日本プロレス初来日時「売国奴」として登場している。
生まれ故郷アメリカでは卑劣なジャップとして蔑まれ、その祖国では売国奴として甘んじる。
鬱屈したナショナリズム。
著者は、そんな視点からグレート東郷の出生の秘密にせまっていく。
これまで彼は、熊本県出身の移民の子、その二世として出自が語られていたのであるが、著者は、ある情報から彼の母にまつわる秘密を知ることになる。
ここからは、まるでミステリー小説を読ませるように面白い。
プロレスファンにとっては、ある種スクープともいえるエピソードもあるが、それは露骨な暴露本の類ではない。森氏の視点は常に暖かく愛情にあふれ、きっとプロレス好きな読者も満足するだろう。
ふらりと入った書店で、思いっきりツボに入った本を見つけてしまった。結局、友人との待ち合わせに遅刻するまで、喫茶店で読みふけってしまった。
これは、プロレスファンならずとも、お薦めできる一冊である。
(山下惣市)